ヒストリー
UNCHIをアンチと読み間違えて入社した2年目の私が、今まで聞けなかったUNCHI株式会社のことを先輩に聞いてみた。
個性的な店名が多く、そのルーツ的存在とも言える1号店「人類みな麺類」。
創業当時の話が聞きたい!と思い、社長となる松村と一緒に「人類みな麺類」を立ち上げた北さんに連絡。
「飲みながら聞かせてください。」
とセッティング。
生ビールで乾杯の後、日頃の話もそこそこに、まずは松村との出会いから聞いてみた。
19歳だった大学生の頃、アルバイト先が一緒だったんです。同世代でホール担当だった男は自分と松村だけで同い年だったから、バイト帰りに牛丼食って、すぐに仲良くなりました。
その頃から松村は「ラーメン屋をする。」とバイト先の店長にも言っていて「人類みな麺類」という店名も既に決めていました。
それを聞いた僕も「塩ラーメンが好きだから、2号店できた時は店長にしてよ。」って、まぁ冗談で言ってました。
松村は大学を卒業する時、ラーメン屋で修行するためホールのアルバイトを辞めました。
僕はそのままそこで社員登用されたんですが、1年半で退職。ちょうどその頃、僕がまだ働いていると思っていた松村がお店に来たんです。
そこで僕が辞めたことを知って「店オープンするで。暇やったら手伝ってくれる?」
と即電話してきました。
お互いどういう性格かわかっているので、松村は僕に「店があかんくても、最後まで一緒にやるよって言いそうやけど、あかんと思ったら辞めてくれていいよ。」
言ってくれたんですよ。
なので、最初は手伝うくらいの感じで始めました。
僕は飲食店でずっと働いていたので、接客もきちんとやってきたつもりでした。
だから、当時日本一とも言われた有名店で修行した松村のラーメンの味はさぞうまいやろって思っていたんです。
だけど、レセプションの前日に初めて出されたラーメンを食べた時、これがくそまずかったんですよ。
それで「まじかコイツ?!」ってなって、一気にめっちゃ不安になりました。
レセプションに来てくれた方の反応もあまり良くなかったし「やばない?」ってなりました。
オープンして徐々に改良しました。
元々メニューを「原点」のみでやってたので、毎日毎日味を調整し続けました。
人類みな麺類は2012年4月12日にできたんですが、その翌月の5月10日に松村の好きなMr.Childrenが出すアルバムのタイトルにあわせ「micro」と「macro」が生まれました。
僕は当日まで何も知らされていなくて、
「今日から2種類増やすから!」
と松村から言われ、営業しました。
お昼の営業が終わって、まかないで初めてmacroを食べた時、これはうまい!ってなって、microも面白い味だしこれはいけるんちゃう?ってなりました。
その頃はまだ行列がなかったですが、お客様の反応も次第に良くなってきて何度も来てくれるお客さんも増えてきました。
僕もなんも知らんかったし、最初は手伝っている感じだったので「あ、そうなんや。」って思ったぐらいです。
でも本当に、macroができたのは奇跡だと思いますよ。
原点はオープンから半年ぐらい経ってようやく味が落ち着いたし、microもお店を任されてからは味を変えたりしましたが、macroは創業当時から一切味を変えてないんです。
実は最初はスープの量は今より多かったんです。
でも食べに来てくれるのは若い世代が多いし、全汁(※1)したら記憶に深く残るんじゃないかと思って、麺の湯切りを浅くして、スープの量減らしたんですよ。
※1. ラーメン、つけ麺を一滴の汁も残さず食べること。
確かに私も人類みな麺類のスープはほとんど飲みます!
全汁すると「飲んじゃった」っていう罪悪感と、「飲めちゃった」っていう快感ダブルで来ますよね!なるほど。なるほど。
オープンした年の8月に“夏の限定ラーメン”というテーマで、大阪ほんわかテレビから取材を受けたんです。
今となってはマボロシとなった「えいひれつけ麺」が放送された翌日から一気に行列ができました。
当初松村は「レンゲは置かない。自分はデッド(※2)で飲むから」と言ってました。
「いや、絶対いるやろ!」って言ったんですけど、
「とりあえずナシでやろう!」
って言われて営業したら、昼営業であまりにレンゲがないかって聞かれるから、すぐに買いに行って夜から置きました。
「せやから言ったやん!」ってなりました。
でも、松村は何事も自分でやらないと納得しないんですよね。
「とりあえずやってみよう!」は今でも変わってないですね。
※2. レンゲを使わずにどんぶりから直接スープを飲むこと。
それはわかります!私も社長に言われて他の意見言ったときも、納得しない限りほとんど意見は変わらないです。やってみて違うと、一瞬でヤメよってなりますよね。
と、今日はここまで。
今まで聞けなかった話が沢山聞けて、貴重な時間でした。
今回、創業当時の話を聞いて思ったのは、やはり社長松村の「独創的な発想」と「スピード感」。
それは24歳だった当時と今でほとんど変わってないと感じました。
私自身日々業務に追われてるけど、それはスピード感を大切にしている人と働いているのだからそれも仕方ないのかな。
こんな形でのスタートで現在6店舗を経営してるんだから他のお店についてもまだまだ色々ありそう。
またタイミングみてレポートしますね。
北さんありがとうございました。
これが「冷やしえいひれつけ麺」だ!