オープン日の様子、左は松村(2013年4月)
くそオヤジ最後のひとふり
男とはとある街の、とあるラーメン店で出会った。
後に人気ラーメングループの代表となる彼はその店で店長をしていた。
俺はその店に面接に訪れたわけだが、既に独立へ向けた準備段階にあった彼の手には図面が握られており、そこには手書きで「店名、人類みな麺類(仮)」と記されていた。
男の名前は松村貴大、まだ20代前半の若者だった。
俺はしばらくそのラーメン店で働いたが、松村は早々に店を辞めて独立した。
その後しばらくして「人類みな麺類」の店名も次第に耳にするようになった。
それから数ヶ月が経ち、俺がたまたま十三への転居したところに松村から突然の着信があった。
「いま十三で飲んでるんですが、これから会えませんか?」
彼に会いに行った先で聞かされたのが、2店舗目の開店にまつわる構想だった。
久々の再会を果たした十三の街は、彼と共に働くことが決まった場所でもあった。
「店の名前は”くそオヤジ最後のひとふり”って言うんですよ」
正直、俺には絶望しかなかった。齢38歳、オヤジとは一番言われたくはなかった頃だ。
誰がくそオヤジだ。
しかも出汁は貝のみだという。ラーメンとしてはパンチが足りないのではないか?
貝1本で果たして勝負できるのだろうか。
オープン2日前を迎えたある日、松村から驚きの発言。
「じゃあスープを作りましょう。スープは3種類にしましょう!」
俺は一瞬呆気にとられたが、驚くべきことに3種類の味はおよそ1時間で決まってしまった。
全てにブレンドを変え、それらはどれもが美味しかった。
「しじみ」はとりあえずあっさり、お酒を飲んだ後に食べたくなるよう柔らかな貝の風味をとことん突き詰めた。
逆に、若い人向けには濃いめの出汁と肉々しく食べ応えのある「はまぐり」。
そして最後に、両者の間を取る形で「あさり」が誕生した。
出来たばかりの店内で前日まで味を突き詰める
そんな中、オープン直前となったその時に事件が起きる。
数日前からの荒天の影響ではまぐりが全く採れないというのだ。
このままではオープン前日には届くわけがない。
悩んだ末にはまぐりラーメンは初日から早くも封印されることとなった。
俺はご来店されるお客様には常にはまぐりラーメンの存在を明かしていた。
それぐらい開店からスタートできなかったことに悔しさもあったし、この先十分に期待もして欲しかった。
2014年4月、はまぐりラーメンは実にオープンから1年後に販売を開始することになる。
ラインナップが3種類に増え、大ぶりなはまぐりを盛り付けたラーメンの画像は瞬く間にSNSで拡散された。
当時は17時からの夜営業のみだったが、深夜2時~3時まで店を開けていた。
21時までには若い人向けの「あさり」や「はまぐり」がよく出て、それ以降はお酒を飲んだ後のお客様や、
飲食店経営の方などに「しじみ」が支持され、十三界隈での口コミもじわじわと拡がった。
また、オープン当初から当時は珍しかったヒューガルデンホワイトの樽生は女性に人気があり、〆の店としても評判となっていった。
お客様に連日ご好評いただいている最中ではあったが、店舗の上を通っているバイパスの耐震工事に先駆け、店は緩やかに閉店へと向かって行った。
閉店日が確定してもなお移転先を探すことには困難を極めていた。
連日の行列は想像を越えるほどに延び、周辺の商店街へのご迷惑ともなり、松村は悩んだ末に十三駅前のしょんべん横丁で最も古くから営業されている店を訪ねることにした。
「何かが見つかるかもしれない」
その先にはとても良い出会いがあった。
しょんべん横丁のなかすじにある「平八」という大衆居酒屋の店主に周辺のお話を伺う中で、
「そしたらウチの本店使うか?」という願ってもない言葉をいただいたのだ。
松村の強運はこういうところでこそ発揮される。
さらりと書いてはいるが、線路側のしょんべん横丁に移転が決まったのはついこの間の話。
十三でまた営業を再開できることで、かつての店舗でのお客様はもちろん、周辺の商店街への恩返しにもなればと松村は考えている。
くそオヤジの第2章が、今まさに始まろうとしている。